SE父さんの事件簿

0歳児と3歳児を育てるサンドイッチ世代のインフラ系システムエンジニアのお父さん

小さいけれども確かな幸せ、絵本「おおきな木」

村上春樹さんの造語の「小確幸」は家族生活によいコトバだ。最初に奥様からこのコトバがでた時には中国語か、占いの看板から拾ってきた単語か、はたまた鳥の名前か、と頭を巡らせて聴いた。しかし私の怪訝な顔をみて「ちいさいけれどたしかな幸せ」ということだと解説してくた。

家族生活、子育てには声を大にして「しあわせー」というより、ホッとしたひと時、ふとしたひと時に幸せを感じることが多い。順風満帆ということはなく、悩むことが多いが、そういう中でのふとした確かにそこにある瞬間の満たされた心持ちだ。たとえば夫婦でアイスのMOWを買ってきて食べて美味しいと目をあわせる、長女が赤ちゃんを一生懸命に歌を歌ってあやしているのを眺めて一息つく、などがこれにあたる。

ところで村上春樹さんの作品や翻訳はその話題性に対して、直視しないでここまできた。<1Q84>が発表された時、当初上巻だけだったということもあり、ジョージ・オーウェルの<1984>を読んだ。そして未だに<1Q84>は読んでいない。<キャッチャー・イン・ザ・ライ>の時には野崎氏の<ライ麦畑でつかまえて>を読んだ。1984にもライ麦畑にも、それぞれ凄い印象を受けてそれで満足してしまった。ただ絵本の<大きな木>は読み聴かせして、すごい本だなと思ったら村上春樹さんの翻訳だった。大きな木は、自分の持っているものを大好きなこどもに与え続け、最後にあげられるものは何もないと詫びつつおじいさんになったこどもと幸せなひと時を過ごす。

先日、私が膝に赤ちゃんをのせて、奥様と子供がハヤシライスをパクパク食べている風景を見ていた。ふとこれは「小確幸」だなと感じた。

しかし「小確幸」とは言いにくい。ニュアンスは奥様と一致したので、会話では「幸せ」と言っておこうと思う。

 

今日は出だしの勢いで、だ・である調で書き終えてしまった。はたして読みやすいのだろうか。

 

出てきた本: